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「エモさ」についてふと思ったこと

いつもながら、ホントどうでもいい事書く。

音楽と映画について共通言語を持つ友人と感想を言い合う時に「エモい」という便利だが思考停止に近い形容詞をよく使う。一般的な用法と自分(と自分の周りの一定の共通理解を持っている友人)の使っている「エモい」のニュアンスは違うのかもしれないという前提で言うと、言い換えれば「グッと来る」という感じで、「感動する」と略すとちょっと違う感じ。

どういうモノにエモさを感じるか。自分にとって「何かを何かに投影出来うる」要素や文脈を含むモノでは?とさっき思った。そして後者の「何か」に当てはまるのは「自分(の感覚・感情・状況)」である場合が50%以上は占める。それが「現在の自分の感情」であれば、単純に「共感」で片付くものなんだけど、例えば「過去に自分が体験した出来事及びその際の状況や感情」だとしたらなると、「共感」という言葉では拾い切れないニュアンスがある。

例えば、音楽、ギターフレーズについてのエモさについて。自分なら全く思いつかないであろう素晴らしいギターフレーズを聴いた時に感じるのは関心・感動・感激であって「エモさ」ではない。「あぁ俺でもそうするわ!そうなるよな!」とか、「こういう感じでこうなったからこうなったんだろうな!わかるぞ!」という感覚をギターフレーズ(ギタリスト)に感じる時、エモさを感じる。さらにはそのギタリストの境遇・状況・年齢などから勝手に「あぁそうなるよな!こういう時だからこうなんだよな!」と自分勝手に感じるソレが「エモさ」。

例えば映画のあるシーンやストーリーについて。 凄く美しい(または)映像・言葉・登場人物・人物間の関係、なんでもいいが、そこに自分もしくは自分の把握しうる何かを投影出来なければ、「エモさ」はない。だから全く美しくもなんともない駄作映画の、しかも主題と関係ないものでも、「エモさ」は生じうる。映画の中である部屋に配置してある何かに、過去の状況を察せる何かがあって、そこに何か(例えば過去の自分の出来事とその時の感情)を投影してしまった場合、そこに生まれるのが「エモさ」。

んーでもちょっと違うかな? まぁいいか。

しかし日本に帰ってから観るもの聴くもの体験するもの全てがエモすぎる。やっぱたとえ日本がこの先どうにかなっても俺は一生日本人なんだなと思った。そしてそれは日本語でモノを考えている事ともめちゃくちゃ関係している。まだうまく説明できないけど。

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プロフィール

rt258593

Author:rt258593
2つの場所でギター弾いてます。長野生まれ長野育ち、18歳から上京し、2011年ジャカルタ、インドネシア生活を経て2012年現在東京在中。

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ギターとトラックと映像、リアルタイムサンプリングとそのエフェクトとループによる曲構築。

画家
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各国の民族楽器(三味線、ピン、ドゥンドゥン、ジャンベ、ウィンドチャイム、ボンゴ、ティンバレス、コンガ、銅鑼、カホン、ディジュリドゥ他)と5種の管楽器、そして、ギターやベース、キーボードやドラム、更にスタイロフォンやテルミンといった電子楽器、床やタライやバケツといった音の出る器、果てはヒューマンビートボクサーすらも内包した、純然たる無国籍無秩序音響派楽団。腹には一物、胸には野望を秘めた連中が、イイ匂いのする仲間を募り、募られた仲間はまた仲間を募り、募り積もって、公園で音を鳴らし始めたところに、端を発す。性別、年齢、職業、国籍、趣味嗜好、及び楽器の経験や所持は問わず、あまりお互いのことを知らないままに、同世代の気のイイ輩が集結。演奏の技術よりも、音を鳴らすことを楽しむことを優先し、メンバーや担当楽器は流動的。

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